大峰奥駈道 Day6 ゴール編

2017.4/27~5/2 大峯奥駈道最終日 五日目はこちら


たどり着くとそこには大きな大きな鳥居と五月の青。
計画通りいかなかった。
半分失敗だった。
だけど間違いなく一生の宝物になった。


3時起床。
若干体が重い。
暗闇の中、4時出発。


日が登ると今日も爽やかな朝となった。
最初から最後まで本当に天気に恵まれた六日間だった。


 玉置山手前の展望台付近にあった石碑。



 7時過ぎ玉置山到着。


山頂から遠く海が見えた。

玉置山を降って行くととても古い建物が現れる。
世界遺産の一つ玉置神社。


ここはゆっくり参拝。


歴史と伝統を感じます。


なに!


写真では伝わらないが、この杉は大きかった。
間違いなく僕の人生で見た最大の木。
樹齢3000年だそうです・・・


玉置神社付近に駐車場があり、そこに売店があるはずだった。
とにかくコーラが飲みたい。うまくいけばうどんも食べれるかも。
期待を胸に道を下る。
やがていくつか道が交差する広い場所に出たが、 そこにあったのは平家の供養塔だけ。

地図をよく見てみると駐車場は神社の近くの全然違う場所。
コーラはともかく、水も自販機で買うつもりだった。
先に進むには水が足りない。
降りてきた道を40分かけて登り返すのか・・・
途方に暮れているとすごい勢いで降りてきたハイカーが、自分が担いできた水を惜しみなく分けてくれた。


玉置山を過ぎれば簡単な上り下りの繰り返しだと思っていた。
が、完全に間違い。
疲弊しながら九時半頃、大森山山頂通過。


とうとう五大尊岳の途中で足が止まる。
休憩に大きく時間をとる。

樹林帯で眺望はほぼゼロ。
標高が下がったことで気温は上がり全身汗だく。
そんな環境でひたすら急登りと急下りを繰り返す。
まさに修行の道。


足元で何かが動いた。
蛇だ。あの看板が頭をかすめる。
マ、マムシ!?
焦ったが多分アオダイショウ。



11時過ぎ五大尊岳通過。
ここもキツかった。
ピークが二つもある。
聞いてないぞ。
さらに消耗する。


木の間から集落が見えた。
人間の生活圏だ。
心が躍る。


午後1時、金剛多和近くの沢で最後の水補給。
水量豊富。


山は新緑の季節。
しかしそれどころじゃない。
滑りやすい急な斜面で4回転んだ。
疲れで体が重い。
足のあちこちが痛い。


目の前が開けて美しい里山の景色が目に飛び込んできた。
ゴールへのカウントダウンが始まる。

 
 鼻が高い天使のようなお地蔵さんに力を分けてもらう。


近くに見えてるのに中々届かない下界。
ここまで来てなお繰り返される激しいアップダウン。


焦る心を落ち着かせようと仰向けになって空を見上げる。
これが最後の休憩。


本宮が見えた!


 ついに山が終わる。


熊野ブルーと呼ばれる熊野川。

遠回りして橋を渡るコースは30分ほどかかる。
川の中を自分の足で渡るのが本来の習わし。
しかも10分で行けるらしい。



ということでチャレンジ。



水は冷たいわ、足の裏は激痛だわ、流れは早いわ深いわで、結局一時間近くかかりました・・・


河岸を上がると大きな杉の並木道。
何を思うでもなく噛みしめるでもなく、機械のように足が前に出る。
体が終わらせたがっていた。



鳥居を越えて立ち止まると歩いて来た子供達が順番に挨拶してくれた。

人の世界に戻って来た。


百六十円でこれが買えるんだぜ。
人の世界最高でしょ。
夢中で飲み干した。


本殿に参拝。
最後の願掛け。
これで本当にこの旅の終わり。
 



本殿の門をくぐると青い鳥が飛んで来て目の前の木の枝に止まった。
近寄ると屋根の上に飛び移ったが大きく逃げようとはしない。


大峯奥駈道には75の靡(なびき)がある。

今回の縦走で75全ての靡を参拝できた訳ではないけれど、目にした神仏にはもれなく手を合わせ祈った。
仕事の事、家族の事、健康の事、最初はたくさんの事を祈り過ぎて いちいち時間がかかった。
だけど、歩みを進め、数え切れないほどの山を越え、たくさん笑い、時に苦しみ、いろんな人と出会って、助けられていくうちに、願いは段々と削ぎ落とされていって最後には一つとなった。

たった一つ、自分がそうありたいと願う人であれば、他の願いは自然と叶っていく、そう気付いたのだ。
それは自分のあり様であり、心の持ち方だった。

悟ったなんて程遠いだろう。
でも僕の中では大きな発見だった。
六日間この道を奥駆けたからこそ得たものだった。

だからタイミングよく青い鳥が現れた時、神様が「願いは承りましたよ」と言ってくださっている様に思えた。

図々しいかもしれないけれど、六日間頑張ったのだからいいじゃないか。









その後の顛末

六日目の道中、KRさんには何度かLINEでやりとりをしていた。
安全の確保のアドバイスと、できる事ならエスケープの推奨を送っていたが、彼は行けるところまで続ける決意のようだった。

自分が下山すると益々心配になって来た。
エスケープを説得しようと熊野のバス停から何度か連絡して見る。
しかし電源を切っているのか電話は不通。LINEも既読にならず。
最終バスが来るまであと10分、どうしたらいいか途方に暮れる。

そこに偶然現れたのが、道中何度もすれ違い親しくなっていた50代の川崎のハイカーKさん。
山中に残っているKRさんの事をたいそう心配してくださり、KRさんがテントを張っているだろうと予想している21世紀の森森林植物公園まで一時間以上かけて車で連れて行ってくださった。

想定通りKRさんはそこにいて、突然現れた我々にビックリの様子だった。
そして何日かかっても目標を果たしたいというKRさんをなんとか説得して無事一緒に下山の運びとなった。

KRさんはやはり限界を超えていた。
その夜の民宿でも翌日の朝も食事が喉を通らず、見るからにゲッソリ。
腫れていた足は帰宅後、剥離骨折だったと判明。

無理をして続けなくて本当に良かった。
続けていたらよくない事が起こっていた気がする。
全て川崎のKさんのおかげである。
どれだけ感謝しても足りない。
本当にありがとうございました。

初心者ながら健闘むなしく80km地点でリタイアしたKRさん。
山はもう懲り懲りかと思いきや、体を鍛え直してまた山へ行こうと、残った20kmも歩きにいかなきゃと、ギブスが取れるのを心待ちにしているようである。

僕も東京に戻り、いつもの日常に戻ったけれど、
時折持経の宿のおじいさんの言葉を思い出す。

『山は本当にいいところです。また山に来てください。』












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